コラム1(2009.2.7)

梁山泊周辺の地図について
 

 梁山泊周辺の地図を造りました。緑色が鄆州管内、オレンジ色が済州管内です。梁山泊はこの二州にまたがっていました。鄆州と東平府は同じ都市を指します。北宋の末期、鄆州が東平府に改称されました。

 歴史物の地図を造るときに気をつけないといけないのは、現在の河川の流れと当時の河川の流れが異なることがあり、当時の海岸線と現在の海岸線は異なる、ということです。つまり現在の白地図を引っ張ってきてそこに地名を置いていくだけでは正しい地図は造れないと言うことです。

 けっこうこのミスをやってしまってる地図が多いです。とりあえず平凡社版駒田訳の地図はこのミスをやってます。これをそのまんまコピーしてる講談社文庫版・ちくま文庫版も同様。(他に安山鎮を安山「鎖」っていう誤字もそのままコピーしてる・・・)吉川・清水訳は今手元にないので確認できてません。

 さてこの駒田訳の梁山泊周辺の地図を見ると、梁山泊の付近を黄河が北東へ向かって流れ、三つの湖が描かれていますが、この時代の黄河本流はここを流れていませんし、この三つの湖(東平湖・蜀山湖・南陽湖)は、当時は全て陸地でした。そして肝腎の梁山泊が陸地のど真ん中に描かれています。

 特に覚えておかないといけないのは、黄河は時代によってしょっちゅう流れが変わっているってことです。黄河は、昔からよく氾濫を起こし、大きな氾濫が起きると河の流れ自体が変わってしまいました。(ちなみにこういう黄河の氾濫から梁山泊が形成されたわけです。)今の黄河は渤海湾に注いでいますが、北宋末期の黄河本流は東南へ向かって流れ、黄海(東シナ海)に注いでいました。(このあたりは宮崎市定『水滸伝 虚構の中の史実』に詳しいのでご参考ください。)

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