好漢紹介



起自花村刀筆吏
英靈上應天星
疎財仗義更多能
事親行孝敬
待士有聲名
濟弱扶傾心慷慨
高名冰月雙清
及時甘雨四方稱
山東呼保義
豪傑宋公明
   てんかいせい  こほうぎ  そうこう
 天魁星 呼保義 宋江

 済州鄆城県の押司。鄆城県宋家村の出身。あだ名は及時雨。また呼保義。字は公明。排行は三郎。顔は黒く、背は低く黒宋江と呼ばれ、またよく親に仕え、義を重んじ財を軽んじたため孝義の黒三郎とも称された。事務に精通し、槍棒などの武芸もたしなむ。実家の豪農の家には、主である父の宋太公と弟の宋清が住む。母親は既に亡くなっており、妻帯していない。天下の好漢と交わることを好み、頼ってくるものがあれば誰でも受け入れ、手厚くもてなし、金子を渡して送り出してやる。よく人の世話を焼き、間に入って悶着をまとめ、人の難儀には手をさしのべるといった人物で、世に広く名を知られていた。登場時の年の頃は三十くらい。

 <鄆城県押司時代>

 ある時、済州の観察・何濤が東渓村の晁蓋を逮捕しに鄆城県へやってくる。当直の押司だった宋江が何濤にあって話を聞くと、晁蓋は生辰綱(東京の蔡太師へ送られる誕生祝いの品)を強奪した犯人であるという。宋江は、何濤に協力を約束する一方で、自らの兄弟分である晁蓋に急を知らせるために東渓村へ馬を飛ばし、晁蓋らにすぐに逃亡するように促した。宋江の知らせのおかげで晁蓋らは、すんでのところで危機を逃れ梁山泊へと身を投じた。

 またある時、鄆城県にとある母娘が流れてくる。母は閻婆、娘は閻婆惜といい、ある旦那をたよって東京から山東にやってきたが、めぐりあえず、その内亭主も病でなくなり、二人で路頭に迷っていた。宋江は街の人からの紹介でこの二人を世話し、亭主の棺桶代を出してやり、当座の生活費を送ってやった。閻婆さんは、宋江がまだ妻帯していないことを知ると、婆惜を宋江の妾にとすすめてくる。最初は断っていた宋江だったが仲人の王婆さんの説得で、閻婆惜を妾に迎え、街に家を借りて住まわせてやることにした。しかし、女色に気のない宋江は数日もすると婆惜のもとに通わなくなり、婆惜は宋江の同僚の張文遠と密通するようになる。

 そんなある日、梁山泊の晁蓋の遣い劉唐が鄆城県へやってくる。命を助けられた例にと百両の銀子と手紙をもってやってきたのだった。宋江は手紙だけを受け取り、銀子はそのまま持ち帰らせた。その日、街で閻婆と出くわした宋江はしきりに誘われ久しぶりに婆惜のもとを訪れる。しかし、既にお互いに気持ちは離れており気まずくなった宋江は、婆惜の家を出る。その時、宋江は晁蓋からの手紙を置き忘れたことに気づき、急いで婆惜の家に戻るが、手紙は既に婆惜の手の内であった。婆惜は、梁山泊の賊との密通をばらされたくなければと、宋江をゆする。そのうち口論となり、カッとなった宋江は短刀で婆惜ののど元をえぐって婆惜を殺害した。

 閻婆は、宋江の人殺しと罵って役所に訴え出るが、知県をはじめ役人たちは普段の宋江の素行からは考えられず、またもしそうであっても何とか見逃してやりたいと思い、捜査を遅らせた。宋家村の実家の地下の穴蔵に身を隠してした宋江だが、そのうち同僚の都頭の朱仝と雷横が屋敷に捜索に来る。二人は何とか宋江を救おうと考えていたため、宋江を見逃して引き返した。知県や役人たちの手回しで、閻婆さんは訴えを取り下げ、全国に逮捕の書状を回しただけで、うやむやにしてしまった。

 <逃亡時代>

 宋江は弟の宋清を連れて家を出て、滄州の柴進のもとへ身を寄せる。柴進の屋敷では、同じく身を寄せていた武松と知り合い、親しく義兄弟の契りを結んだ。柴進に累が及ぶことをおそれた宋江は、宋清を実家へ返し、自らは青州白虎山の孔太公の屋敷に身を寄せる。孔太公の息子の孔明・孔亮兄弟と親しく交わり槍棒の師をつとめた。ある時、罪を犯し逃亡中の武松が白虎山に流れ着いてきて、宋江は武松と再会を果たす。その後、武松は二竜山へ向かって山賊となり、宋江は旧知の花栄を頼って青州清風寨を目指した。

 清風寨への旅の途中、清風山の賊に捉えられ生き肝をすすられるところであったが、自分の素性を明かしたところ、かねてより宋江の名を聞き慕っていたという清風山の賊、燕順らに厚くもてなされる。燕順らと義を結んだ宋江は、別れを告げて清風寨の武官の知寨・花栄のもとを訪れる。花栄は、宋江をもてなし屋敷にかくまっていたが、清風寨の文官の知寨・劉高の妻に素性をばらされ宋江は捉えられてしまう。またこれを救おうとした花栄も同罪とされ、兵馬都監・黄信の策によって捉えられてしまう。二人は青州城へ護送されていく途中、清風山の燕順らに助け出され、清風山へ身を寄せる。宋江らを捉えに来た兵馬総管の秦明や黄信らを撃退し上手く仲間に引き入れる。もはや身を寄せる場所のなくなった宋江は、晁蓋を頼って梁山泊へ身を投じることにする。

 梁山泊へ向かう途中、宋江は実家に戻っていた宋清からの手紙を持った好漢・石勇と出会う。手紙には、宋太公が亡くなったため急ぎ実家に戻るよう記されていた。宋江は、大いに嘆き悲しみ一行と別れて宋家村を目指した。実家に着くと宋清は喪服を着ておらず、問いただすと手紙の内容は宋江を呼び戻すための嘘であり、宋太公は健在であったのだ。時に、恩赦が下されているときで、宋江は宋太公と相談し罪に服すことを決め役所に出頭し、江州への流罪の判決が下される。

 江州へ護送されていく途中、梁山泊の仲間たちが宋江を救おうとやってくるが、宋江は江州で刑に服すことを決め、梁山泊入りを断った。道中、江州界隈の盗賊たちに次々に襲われるが、いずれも宋江の名を慕っている好漢であり、男が宋江であることがわかると平伏して宋江を手厚くもてなした。配流先の江州でも、呉用の親友の牢役人戴宗と子分の李逵、魚問屋の張順らの助けを得て、気楽に過ごしていたが、ある時、酔っぱらって潯陽楼に反逆の詩を書きつけたことを咎められる。戴宗は、梁山泊の好漢と通じて、太師蔡京の偽手紙をもって、宋江を助けようとするが、蔡京の息子である蔡九知府と黄文炳に見破られ、宋江と戴宗は処刑されることが決まる。

 宋江と戴宗が処刑されるために街中に引き出されてくると、李逵が処刑場に乱入して暴れ回り、また梁山泊から駆けつけた晁蓋らの好漢が刑場を荒らして、宋江と戴宗を救い出した。宋江らは江州で出会った李俊・張横・穆弘らをも仲間に加え、無為軍では、宋江を処刑に陥れた黄文炳を討って、梁山泊へと凱旋した。

 <梁山泊頭領時代>

 梁山泊入りした宋江は、晁蓋に次ぐ第二の席に座る。実家の父と弟・宋清を梁山泊へ呼び寄せるため宋江は鄆城県へと帰る。捕り手の趙能・趙徳から逃げるうちに身を隠した廟で宋江は夢を見る。夢の中で、宋江は「星主」と呼ばれ、道教の女神・九天玄女娘娘と出会う。九天玄女は、宋江が罰されて下界に下されている宿星たちの主であることを告げ、三巻の天書を授ける。夢から覚めた宋江の手には、三巻の天書が残されていた。

 その後、対外的な戦いが起こると宋江が兵を率いて下山し、首領の晁蓋が山寨を守った。宋江は、祝家荘の戦い、高唐州の戦い、対呼延灼戦、青州戦、華州戦、茫碭山戦など数々の戦いで指揮を執り、軍師の呉用以下、頼れる好漢たちの助けを得て勝ちを収め、多くの好漢たちを寨に迎えていった。ある時、曽頭市の曽一族が、梁山泊の賊たちを成敗しようと挑発行為を行った。普段は寨を守っていた首領・晁蓋は、この時は我慢ができず宋江らの諫めも聞かず、自ら兵を率いて出陣する。しかしこの戦いで、晁蓋は敵の策におち、曽頭市の武芸師範・史文恭の放った毒矢を顔に受け重体に陥り、宋江らに後を託し息を引き取る。

 晁蓋の死後、宋江は皆に首領に推されるが、晁蓋の「史文恭を討った者を首領に」という遺言を重んじ仮の首領についた。真にふさわしい人物を首領につけようと宋江は、河北の三絶と讃えられる北京の豪商・盧俊義を仲間に引き入れるべく画策する。盧俊義を巡って北京などの官軍と再三戦争を繰り広げる梁山泊軍であるが、宋江は常に自ら出陣し指揮をとった。陣中で背中の腫れ物の病に侵され、危うく命を落としかけたこともあったが、神医安道全の治療で命を救われた。

 盧俊義を仲間に引き入れた梁山泊軍は、晁蓋のあだを討つべく再度曽頭市に攻め入る。この戦いで盧俊義は見事史文恭を生捕りにした。宋江は、史文恭を処刑し晁蓋の霊に捧げ、遺言通り盧俊義に首領の座を譲ろうとした。しかし盧俊義は固持し、諸頭領たちも宋江を首領にと推した。結局、宋江と盧俊義は、兵を分け、それぞれ東平府と東昌府を攻めることとし、先に城を陥落させた方が首領につくということに決める。運の巡り合わせもあり、宋江は先に東平府を落とし、晴れて首領に収まる。

 この時、梁山泊の頭領の数は百八人に達しており、宋江は皆の安楽を願って、星祭りを執り行った。祭りの最終日、天より火の玉に包まれた石碣の天文が降って来た。道士何玄通の解読によると梁山泊に集まった百八人の姓名と宿星が記されているという。宋江たちは、天意に従って席次と役職を定め、「替天行道(天に替わりて道を行う)」の旗の元、忠義の為に戦い、国に報いることを誓った。

 宋江は、梁山泊第一位、兵を率いる総頭領。


もどる