好漢紹介
面似銀盆身似玉
頭圓眼細眉單
威風凜凜逼人寒
靈官離斗府
佑聖下天關
武藝高強心膽大
陣前不肯空還
攻城野戰奪旗旛
穆弘真壯士
人號沒遮攔
てんきゅうせい ぼつしゃらん ぼくこう
天究星 没遮攔 穆弘
江州掲陽鎮の長者・穆太公の息子。あだ名は没遮らん(遮るものなし)。頭は円く、眼は細く、眉はうすい。穆春の兄。朴刀の使い手。江州には潯陽江の張横・張順、掲陽岡の李俊・李立、掲陽嶺の穆弘・穆春の三覇の好漢たちが縄張っていた。
ある時、屋敷で酔っぱらって寝ていると弟の穆春が帰ってきて、昼間、流罪人の一行に恥をかかされたと訴える。家人によくよく聞いてみるとちょうど流刑人の一行が、屋敷に宿を仮りに来ているという。慌ててこれを捉えに行くが、流罪人一行はすでに、これを察知して逃げ出した後だった。
穆弘は、父の穆太公が諫めるのもきかず、穆春や家人を引きつれて暗闇の中たいまつをかざして流罪人一行を追いかけ、潯陽江の岸辺へ追い詰めるが、後一歩のところで渡し場の船に乗って逃げられてしまう。その船の船頭は知った中の張横であったため穆弘は罪人一行を引き渡すよう頼むが、張横は自らが追い剥ぎをして罪人一行の金銭を奪おうとして船を返さない。張横が流罪人一行を始末しようとしたとき、李俊がかけつけてきて、罪人が山東の及時雨宋江であることを告げる。常日頃から宋江の名声を聞き慕っていた穆弘は慌てて平伏し、宋江を屋敷へ案内して親しくく義を結んだ。
その後、宋江が江州で反逆の罪に問われ捕らわれたのを聞きつけると、李俊・張横・張順らの好漢と共に仲間を集め江州へ攻め入ろうとしていた。折しも宋江は、梁山泊の好漢たちに救い出されたところであり、処刑場から逃げ出して潯陽江で穆弘等に再会した。梁山泊の好漢と江州の好漢たちは合流し、白竜廟に小聚義した。穆弘・穆春はこの後、無為軍の戦いを経て、家財をまとめ屋敷を焼き払って父や家人らを連れて梁山泊へ入山した。
入山後は騎兵の頭領を務める。祝家荘戦、対呼延灼戦、青州戦、茫碭山戦、曽頭市戦、北京戦に参戦。戦祝家荘戦では先方の一角を成し、祝虎を相手取って戦うなど活躍した。対呼延灼戦では、穆春と共に歩兵の鈎鎌槍隊を指揮した。茫碭山の戦いでは、公孫勝の八卦の陣の一角を務めた。第一次北京戦では、公孫勝、朱仝、劉唐とともに梁山泊へ残って守りを固めた。第二次北京戦では、杜興・鄭天寿を率いて北京の東門へ攻め寄せた。
梁山泊での席次は第24位、騎兵軍の小彪将兼斥候八員のひとり。