好漢紹介
ちぶんせい せいしゅしょせい しょうじょう
地文星 聖手書生 蕭譲
済州の書生。文章を作り、字を書くことが得意で、とくに蘇東坡・黄魯直・米元章・蔡京の宋の四絶の書体をまねるのがうまく、あだ名は聖手書生。槍や剣もこなす。泰山の嶽廟に奉納する碑を書いて欲しいと、玉石彫りの金大堅とともに、山伏を装った戴宗から依頼を受ける。泰山へ向かう途中、梁山泊の王英らに襲いかかられる。蕭譲と金大堅は棒を振るって王英を追い返したが、二、三十人の賊に捕まり、梁山泊に連れて行かれる。そこで江州で投獄された宋江を救うために、蔡京の偽手紙を作るのに協力を求められる。いつのまにか家族も梁山泊に連れてこられており、梁山泊入りを決意。蕭譲は蔡京の筆跡をまねてみごと蔡京を装った偽手紙を完成させる。
入山後は、各種公文書の作成を司る。晁蓋の葬儀では祭文を作り弔ったり、何玄通が石碣天文を解読するとそれを書き取っていったりした。他にも祝家荘戦後、鄆州知府を装い、李応をさらって梁山泊の仲間入りをさせるなどの働きがあった。
梁山泊での席次は第46位、将兵派遣の文書を作製する頭領。
ちせいせい てつめんこうもく はいせん
地正星 鉄面孔目 裴宣
飲馬川の首領。京兆府の出身。もと京兆府の孔目を務めていたが、真っ直ぐな性格で、曲がったことは少しもせず、私心無く公正な人物で、あだ名は鉄面孔目。顔白く体は肥り、どっしりとして、立派な風貌。両刀の使い手で、槍棒刀剣もこなす。京兆府で孔目を務めていた頃、誠実な性格が仇になり、かえって新任の知府に嫌われ、陥れられて沙門島に流罪となる。配流途中、飲馬川を通りかかったとき、山賊の鄧飛・孟康らに救われ、山寨へ迎えられる。立派な人物であったことから勧められて飲馬川の首席に着き、鄧飛・孟康と三百人の手下を持つ勢力の首領となる。ある時、鄧飛と孟康が飲馬川を通りかかった二人組を山寨へ連れてきた。その二人は鄧飛のかつての仲間楊林と、楊林と知り合った戴宗であった。裴宣は宴席を用意して、自ら剣舞を舞って彼らをもてなす。すっかり意気投合して、戴宗に梁山泊入りを誘われると、三人は喜んで受け入れ、のち戴宗、楊林と共に梁山泊へ向かった。入山後は、軍政司を務め、論功賞罰を行い、また常に軍の割り当てなどを行った。祝家荘戦後、蕭譲らと共に鄆州知府一行を装い、李応をさらって梁山泊の仲間入りをさせた。梁山泊での席次は第47位、論功賞罰に当たる軍政司。
ちかつせい まうんきんし おうほう
地闊星 摩雲金翅 欧鵬
黄門山の首領。黄州の出身。あだ名は摩雲金翅。鉄鎗の使い手。もとは軍卒で、揚子江の守備をしていたが、上官に憎まれたため逃亡し、蒋敬・馬麟・陶宗旺らと黄門山に寨を構え山賊になっていた。黄門山の四人は、かねてより宋江の名を慕っていたが、江州で宋江が騒動を起こしたと言うことを聞きつけると、帰還中の梁山泊一行を待ち受け、山寨へ招いてもてなす。宋江らから誘いを受けると、喜んで仲間入りし山寨を捨てて梁山泊へ向かった。
入山後は騎兵をつとめ、祝家荘戦、高唐州戦、対呼延灼戦、青州戦、曽頭市戦、北京戦、東昌府戦など数々の戦いに参加した。祝家荘戦では先鋒を務め、扈三娘や欒廷玉と渡りあうが力及ばず、欒廷玉の鉄槌を投げつけられ負傷した。青州戦では、王英と共に城壁の兵士らを蹴散らした。曽頭市戦では、敵の奇襲で離散した兵たちをまとめて陣営へ引き返した。
梁山泊での席次は第48位、馬軍小彪将兼斥候十六員の一人。
ちがいせい かがんさんげい とうひ
地闔星 火眼狻猊 鄧飛
飲馬川の第二の頭目。蓋天軍の出身。人肉を喰らい瞳が真っ赤になったことから、あだ名は火眼狻猊。鉄鏈の使い手。かつて楊林とともに盗賊をしていたがわかれ孟康と共に飲馬川の山賊となった。沙門島に押送されていく裴宣を偶然救い出したところ、彼が優れた人物であったため飲馬川の首領の座を譲る。
ある時、孟康と共に飲馬川を通りかかった二人組を襲おうとしたが、その二人はかつての仲間楊林と、楊林と知り合った戴宗であった。鄧飛は彼らを山寨へ招き、裴宣に紹介して彼らをもてなす。すっかり意気投合して、戴宗に梁山泊入りを誘われると、三人は喜んで受け入れ、のち戴宗、楊林と共に梁山泊へ向かった。
入山後は騎兵をつとめ、祝家荘戦、高唐州戦、対呼延灼戦、曽頭市戦、北京戦、東昌府戦など数々の戦いに参加した。祝家荘では先鋒の一角を務め、鉄鏈を振るって再三仲間の危機にかけつけるが、伏兵に絡め取られて捕虜となってしまう。曽頭市戦では、花栄・馬麟と共に青州からの援軍を蹴散らした。
梁山泊での席次は第49位、馬軍小彪将兼斥候十六員の一人。
ちきょうせい きんもうこ えんじゅん
地強星 錦毛虎 燕順
清風山の首領。莱州の出身。赤い髪に、黄色い鬚、丸い眼であだ名は錦毛虎。朴刀の使い手。紅い頭巾を身につける。もとは牛や羊の博労をしていたが、元手をすってしまい山賊に身を落とした。王英、鄭天寿と共に清風山に居を構える。ある時、子分たちが清風山を通りがかった太った小男を捕まえてくる。燕順らはその男の胆を引きずり出して吸い物にしようとしたが、すんでのところでその男が逃亡中の山東の及時雨宋江と知る。かねてより宋江の名声を聞いていた燕順たちは、あわてて宋江を手厚くもてなした。その後、宋江は清風寨の旧知花栄を頼っていくが、知寨の劉高と青州兵馬都監黄信の手によって宋江と花栄は囚われの身となり、青州へ護送される。燕順・王英・鄭天寿らは護送隊を襲い、黄信を撃退し劉高を捕らえ、宋江と花栄を救い出した。その後、花栄の力を借りて追っ手の秦明を撃退し、秦明・黄信をも仲間に引き入れ、花栄の家族を救い出し劉高の家族を皆殺しにした。一行は宋江の勧めで梁山泊へ身を投じた。入山後は騎兵を務める。宋江が江州にて囚われの身となると、晁蓋らと共に江州へ乗り込んでいって、処刑間際の宋江を救い出した。対呼延灼戦、青州戦、曽頭市戦、北京戦、東平府戦、東昌府戦など数々の戦いに参加した。東昌府の戦いでは、張清と渡り合うがかなわず逃げ、石つぶてを背中に当てられ、馬に突っ伏して陣へ逃げ戻った。
梁山泊での席次は第50位、馬軍小彪将兼斥候十六員の一人。
ちあんせい きんひょうし ようりん
地暗星 錦豹子 楊林
薊州界隈の盗賊。彰徳府の出身。丸い顔に大きな耳、鼻筋通り口元いかつく、眉は秀で眼は澄み腕細く、肩幅は広い。あだ名は錦豹子。筆管槍の使い手。かつて鄧飛と共に盗賊を働いていたが、5年ほど会っていなかった。鄒淵の旧知でもある。
かねがね梁山泊に仲間入りしたいと思っていたが、偶然薊州に帰郷中の公孫勝に出逢い、梁山泊への紹介状を書いてもらう。いきなり訪れるのも気が引けるということで、梁山泊を訪れることができずにいたが、ある日、公孫勝を捜しに薊州にやってきた戴宗と知り合い、意気投合。義兄弟のちぎりを結び、戴宗に従って公孫勝を捜すのを手伝う。途中、飲馬川を通りかかったとき、山賊に襲われるが、これがかつての仲間鄧飛と彼の弟分の孟康であった。戴宗と楊林は山寨へ招かれ、首領の裴宣と挨拶を交わす。翌日戴宗と山を下り、引き続き公孫勝探しの旅を続けるが、目的果たせず、飲馬川の頭領たちと共に梁山泊へ仲間入りしにいった。
梁山泊入り後は歩兵を務める。祝家荘戦、高唐州戦、対呼延灼戦、曽頭市戦、東昌戦などに参戦。祝家荘戦では、山伏の格好をして偵察に出るが、捕らえられてしまい、最初の捕虜となってしまった。祝家荘戦後、蕭譲らと共に鄆州知府一行を装い、李応をさらって梁山泊の仲間入りをさせた。高唐州戦では、白勝と共に伏兵を率いて高廉を迎え撃ち、雨のように矢を浴びせて高廉を負傷させた。遣いとしての仕事も多く、彭?の家族を迎えに東京へ赴いたり、石勇、段景住らと共に北辺に馬を買いに行ったりと働いている。
梁山泊での席次は第51位、馬軍小彪将兼斥候十六員の一人。
ちじくせい ごうてんらい りょうしん
地軸星 轟天雷 凌振
東京開封府の甲仗庫の副使。燕陵府の出身。火砲を造ることが上手く、宋朝きっての砲手の第一人者で、あだ名は轟天雷。武芸にも通じる。呼延灼率いる梁山泊討伐軍の援軍として東京より梁山泊へ赴くと、風火砲、金輪砲、子母砲などの砲を設置し、梁山の寨へ向けて砲撃を浴びせる。弾は梁山の水辺を越えて寨に着弾した。しかし梁山泊軍はこれに対し、水軍を出撃させ水辺の砲架を倒してしまう。 凌振は梁山泊の水軍を追って小舟を奪うが、船にはあらかじめ穴が開けられており、凌振は転覆して水中で阮小二に捕らえられ、山寨へと連れ去られた。山寨で宋江に説得され、また先に降っていた彭玘にも説かれ梁山泊軍へ投降。入山後は特技を生かし火砲の砲手を務める。青州戦、北京戦、東昌府戦に参加。北京戦では、道童の身なりをして公孫勝と共に城内へ侵入、時遷が翠雲楼に火を放つと、火砲をぶっ放して一斉攻撃の合図を送った。梁山泊での席次は第52位、すべての大小号砲の製造にあたる。
ちかいせい しんさんし しょうけい
地会星 神算子 蒋敬
黄門山の第二の頭目。潭州の出身。読書算数に明るく、何千・何万の計算をしても少しの間違いなくやってのけ、あだ名は神算子。かつて科挙に落第してからは、文を捨て武をとり、槍棒や兵法にも通じるようになり、欧鵬・馬麟・陶宗旺らとともに黄門山で山賊となっていた。黄門山の四人は、かねてより宋江の名を慕っていたが、江州で宋江が騒動を起こしたと言うことを聞きつけると、帰還中の梁山泊一行を待ち受け、山寨へ招いてもてなす。宋江らから誘いを受けると、喜んで仲間入りし山寨を捨てて梁山泊へ向かった。
入山後は特技を生かして金銭糧食の出納係をつとめる。前線に出ることはなく槍や兵法を披露する機会はなかった。
梁山泊での席次は第53位、金銭糧食の出納を会計する頭領。
ちさせい しょうおんこう りょほう
地佐星 小温侯 呂方
対影山の山賊。潭州の出身。呂布の人柄に傾倒し、方天画戟を学び、あだ名は小温侯。赤い装束を身にまとい、赤い馬に乗る。山東で生薬の商人をしていたが、元手をすり対影山で山賊を働いていた。ある時、同じ戟の使い手である郭盛の一行が対影山へやってきて、領地を狙って呂方と争った。二人は十数日戦ったが、決着がつかなかった。その折、清風山から梁山泊へ身を投じる途中の宋江・花栄ら一行が対影山を通りかかる。花栄の弓の手並みを見た呂方と郭盛は戦いを止め、名声高い宋江に勧められて梁山泊に仲間入りすることになった。
入山後は郭盛と共に、主に中軍の護衛を務める。宋江が江州にて囚われの身となると、晁蓋らと共に江州へ乗り込んでいって、処刑間際の宋江を救い出した。祝家荘戦、高唐州戦、対呼延灼戦、青州戦、芒碭山戦、対関勝戦、曽頭市戦、北京戦、東平府戦、東昌府戦など数々の戦いに参加。祝家荘の戦いでは、郭盛と共に祝虎を討ち取った。また曽頭市の戦いでも郭盛と共に、花栄の矢で落馬した曽塗にとどめを刺した。東昌府の戦いでも郭盛と共に、燕青の矢で落馬した丁得孫を生け捕りにした。梁山泊での席次は第54位、中軍を守護する騎兵軍の驍将。