白話小説とは?


文言文と白話文
 『水滸伝』は「白話文」という文体で書かれています。「白話文」とは口語(話し言葉)を用いて書かれた文のことを言います。古来、中国は文言不一致の言語でした。つまり中国語は、話し言葉と書き言葉が異なる言語であったわけで、文章を書くには書き言葉である「文言」が用いられてきました。孔子の時代の『論語』や司馬遷の歴史書『史記』などあらゆる文章は文言文で書かれてきました。日本の学校で習う漢文とは、この文言文によって書かれた中国の古典であり、日本人は漢文訓読法を発明して中国の文言文に親しんできました。
  文言文は、話し言葉とは違うので読み書きには特別な訓練が必要で、主に士大夫の間で用いられました。ですから庶民には縁のないものでした。六朝や唐代になると小説というジャンルの文学が現れますが、このころの小説は、やはり文言文で書かれていました。
 
白話文の成立
 宋・元以降になると雑劇・講談などがいわゆる芝居や語り聞かせのようなものが発展し、これらの口語をそのまま記録する文章が現れ始めました。明代に入って『水滸伝』や『三国演義』という白話文による小説が現れると、庶民階層を中心に流行していき、「白話小説」というジャンルが定着していきました。しかし白話で書かれたのは庶民対象の小説がほとんどで、役人が使う公文書や新聞などは、未だ文言文で書かれ続け、「文言は正当なもの、白話は俗なもの」であるという風潮は変わりませんでした。小説でも『聊斎志異』など文言文で書かれたものも根強く残りました。
 上に述べたように、中国語の文言文と白話文の間には大きな違いがあり、文法や語彙や用法はかなり異なります。江戸時代に日本に『三国演義』や『水滸伝』が輸入されてきたとき、それまでと同じように日本の漢学者たちは、これらの書物を漢文訓読法で読もうとしましたが、今ひとつ意味が通らず難解なものでありました。それは、これらの小説が白話小説であり、文言文のルールがそのまま適用できなかったからです。大正時代にも幸田露伴が強引に『水滸伝』の訓読を試みており、『国訳漢文大成』に収録されていますが、難解な日本語でとても翻訳と呼べるようなものではありませんでした。
 
現代中国語の規範
 清末の変法維新運動の頃になると、あらゆる文章を白話文で書くことを進める論者が現れ始め、中華民国初期の胡適・陳独秀・魯迅などの文学家による白話文運動が行われ、明清代の白話小説、特に『水滸伝』を規範として白話小説が多く作られました。(これは従来の古い思想から民間を解き放とうとした意図が含まれています。)その後、白話文はしだいに流布していき、新聞・教科書なども白話で書かれ、文言文は淘汰され、標準的な書面用として白話文が採用されることとなりました。これが現代中国語の書き言葉の始まりです。

 『水滸伝』で使われている文章は明代ころの口語であり、現代語の口語とは若干異なるところがあります。胡適ら以降の現代に定着した白話と区別して、明清小説に使われている白話文を「旧白話」と呼ぶことがあります。しかしながら基本的な部分は現代の口語と共通しますので、若干の注があれば、現代中国人もそのまま原文を読むことが出来ます。
  

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